ohbascalpronのblog

2019年09月

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【第百八話】
 当然のことですが、手が一つの仕事を成就していく時には、必ずその根底に「思い」「イメージ」そして「意志」が息づいています。そのような明瞭な一つの方向があるからこそ、手はそのことで動き、働き、そして結果に到達するのではないでしょうか。
 このようにして何年もの間働きつづけてきた手には、その形や動きの中に意志が体現されているばかりか、そこには莫大な情報と知の集積があります。「触診」や「打診」を可能にしたのはそのような知の集積だったのだろうと思います。
 幼かった頃の私でも、心の底から安心感を覚えたのは、手に潜むそのようなパワーを無心に、それでも何かしら直感で感じとったからかもしれません。たとえ幼くとも、人間っていうのはそういうものだ、という感じがします。

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【第百七話】
 今は“結果が大事”という時代なのでしょう、パソコンの画面を見ながらすぐに薬が出されます。確かに治ればそれで良いのですが、何か昔のお医者さんの、無言のうちにも威厳と優しさのある向き合い方には無性に懐かしさ、むしろ恋しさを覚えます。人の手には独特のエネルギーというか、目には見えない力があります。何千人もの、いや時に何万人もの患者さんに触れて、幾多の病や死、そして快復の現場を経てきた「手」には、まぎれもない大きな「力」が潜んでいます。その手が働くときには、常に人を病や衰弱から救い出そうという「意志」があったからだ(存在していた)と思います。

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【第百六話】
 昔のお医者さんは誰でもよく患者さんの身体に触れたものでした。そして「どうしました?」と必ず聞いてくれました。それだけで何となく不安な気持がスッと落ち着いた感覚にになったから不思議です。厳しい顔つきのわりに、背中をトントンと叩いてくれるとその時の触れ方は優しくて、もう大丈夫なんだ!と思えたものでした。「触診」とか「打診」とかいう言葉も、本当に良くお医者さんの“心”を表していたように思えます。

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