ohbascalpronのblog

2019年10月

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【第百二十二話】
 普通の社会生活の中では、あまりに当り前のありふれた行為であるため、その行為の存在そのものがほとんど忘れられているといっても良いのかもしれません。まるで(あたかも)「空気」や「水」のようです。

 「空気」や「水」が人間の生命にとっては必要不可欠なように、人は「触れること」を求め、「触れられること」を求めているのです。空気や水を(でも)ついぞんざいにしたり、扱い方を誤ったりすると、深刻な大気汚染や汚染水などの公害、さらには近年の地球温暖化(大気全体の)問題など(環境リスクを通じ)人間の生命すら(まで)もが脅かされ(る)ていくように、人間が本来社会的存在である以上、(人間同士の)「触れ方」を無視、軽視したり、誤り続けていると、やがては健全な社会生活や心の健康が損ねられ、果ては凶悪犯罪や紛争などの遠因となり、やはり生命や存在までも失っていくリスクにさらされることになると私は考えます。

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【第百二十一話】
 人が人に触れる時、そこには一定の流儀があります。(唯一にして)最大の流儀がゼログラム・タッチということ(もの)です。例外はありません。どんな人でも、そしてどんな場合でも人であれば、(人は)敬われ、人として認められることを心の底から欲しているからです。

 人が人に触れる時、そこには必ず或る目的があります。悲しむ人を慰めようと肩に手を置く時、子供を守ろうとして抱き上げる(手をつなぐ)時、親しみを込めて握手をする(求める)時、又は仕事上で触れなければならない時等々…。触れる(という行為)ことは目的ではなく目的を達成するための手段となっています。どこまでも触れるという行為は目的とする行為や成果(結果)に対して、手段としての位置づけか又は手段ですらない当然すぎる行為として、日常生活の中ではほとんど無視か軽視されているに近い状態といえる(でしょう)かもしれません。ところが人間は、心の底では他のどんな行為よりも「触れること」を切実に重要、と感じているのです。

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【第百二十話】
 朝、起きたら鏡の中の自分の姿を確認して顔を洗う。朝食をとって、いつもの道を通って駅に行き…。職場や学校に通う。平凡、でもそのような日常の中で、いつのまにか自然に心の中や体調に多少のブレがあっても徐々に調子が戻っていって、いつもと同じ自分に調子を取り戻すことができる。戻っていって、笑顔も生れる。成果を出せるようになってゆく。このような恒常性というかホメオスターシスは、とても重要なことと思います。世の中の誰にでも平等に訪れて欲しいことです。

 この恒常性の維持に、頭皮のチェックやレッスンは結構(とても)役に立つのです。まず髪の生え際の毛の立ち方、頭頂部の固さや動き、髪全体のボリュームなどを見ながら頭皮にやさしく触れて徐々にその動きを大きくしていくと身体に自分独特のリズムが戻ってくるのを感じます。まさしく“始動”という感じです。一日の始めは自分で自分にスイッチを入れる。自分の調子を自分で感じる。自分で自分をチューニングする、というのが健康管理の基本ではないか、と私は感じます。調子の良い時は、ますます、よしっと気合が入り、調子が悪い時はそれなりに慎重に(気をつけて)…。 ―おすすめです。―

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【第百十九話】
頭皮は“怨念”の温床、(など)というわけではありません。ただ様々に起る事態に対して、ストレスを感じたり、脳がめまぐるしく活動したり、感情が揺れ動いたりすると、頭皮もその影響や刺激を受けて少しずつですが変動・変化するということなのです。脳(の)に対して最も近くにあるところなので、これは当然のことですよね。そして「様々なコト」が終って、脳が「あーっ良かった。疲れたけど終ってスッキリ!」身体もゆっくり手足を伸ばして「疲労回復!」となっても頭皮だけは同じようにはリセットしないのです。
めまぐるしく脳が動いて、その結果その影響を受けて少しですが変動・変化したまま…でほぼ止まってしまっている、ということです。もちろん全くそのまま、というわけではありませんが、身体の他の部分が疲労回復して元通りになるようなリセットは残念ながら望めません。

これは、頭皮の持つ、持って生まれた「性」といっても良いのでしょうね。悲しい「性」、とあなたは思われますでしょうか。私は高度な脳を持つ人間のみが有する誇りある「年輪」だと思っています。一生懸命生きてきた「年輪」が頭皮の奥底に刻まれ、眠っている。言い替えればその人の「人生の宝」かもしれませんね。

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【第百十八話】
仕事でも、生活でも、
頭を使う、神経を使う、気を使う、心を配り、集中して…。
そして一段落するとフーッと思わず一息ついて、あーっ何とかうまく行った、無事終了。
いろいろと種類は異なり、程度の差はあっても日常こんなことの繰り返し…ですね。
なかには、“遊び”でも同じだよ、という人も居るのでしょうが…。

脳はこうして休むことなく働き続けてはいますが、一つのことが終ると、それまで気にしていたことや一生懸命記憶していたことが一件落着と同時に多くのことが忘れられていきます。リセット効果の一つでしょうか。何ヶ月も経つと、細部については「ええとあれは、どうだったっけ」と努力して呼び起こさなければならないほど、記憶は薄れます。
日々新たな事態に対処するために不必要なことは忘却する。むしろ脳はそのような仕組み尾になっているということなのでしょう。

でも、頭皮は少し違うようです。頭皮は忘れないのです。
「まあ、いろいろあったけどさ、嫌なことはキレイさっぱり忘れましょうや、今日を限りでさ、終ったのだからね―。」「そだね―!」(笑) などという会話で脳は何とかリセットしても、頭皮はリセットできない…のです。残念ながら。ちょっと悲しい宿命ですが、事実です。

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