ohbascalpronのblog

2019年09月

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【第百十三話】
 この対極にある両者を、同時にケアすることが、実は大きな相乗効果をもたらすことになるのではないか、とは以前から考えていたことでした。頭皮への施術もかれこれ四半世紀を越えるに及び、私共なりに様々な知見が日々の実践とともに蓄積され、さらにその応用や活用によって育毛をはじめ、心身の健康面での効果についてもお褒めの言葉をいただくことが多くなって参りました。  大変ありがたいことですが、私はここ最近になって、私なりの最新の知見とこれまでの実践経験を生かし、あらためて頭皮と足を同時に行うようにしています。同時に行うことによって得られる利点は私が予想していたよりはるかにめざましいものでした(レベルをはるかに上回るものでした)。

(以前、頭皮をマッサージとして施術していた頃は、とにかく「頭皮を柔かく」ということを意識してどうしても「力によって動かす技術」に)セルレーションによって、頭皮の奥深くの血流が促進され、それが足先への血流(足先に至る血流)向上につながり、それにより足先の体温が上昇するといった初期的変化にとどまらず、(とどまりません)車椅子でのご来店の方など、介護生活の疲れのせいでか、首が曲がったままだったのが、お帰りになる頃には何もしなくても首が真っ直ぐになるばかりか、血色が戻り表情も柔和で、にこやかになられます。

(力を主体にしたマッサージでなく、触れることから血流を促すセルレーションによって、足と頭の) 対極にある「頭皮と足」を同時にケアすることが、短時間でこれほどの変化をもたらすものかと私自身大きな驚きを覚えずにはいられませんでした。まさしく身体はどのように離れた部位同士であっても血流を通じて強くつながり、一体となっているものだということを実感します。  それにしても以前―といっても20数年も前になりますが―「力によるマッサージ」に頼っていた頃にも頭と足を同時に行ったものでしたが、その時には決して得られなかった、施術の事前と事後のめざましい変化にも大きな喜びを覚えます。「力による施術―マッサージ」「触れ方による血流促進―セルレーション」がそこで決定的な役割を果していることが同時に実感されたからです。

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【第百十二話】
「頭皮と足」―その同時施術がセルレーションによってめざましい変化を呼び起こす。

 頭皮というのは、心臓からすると最も上に位置しており、重力に逆らって流れていくという意味では、最も血流が届きにくい場所であることはよくご理解いただいていると思います。頭皮に限らず、身体の末端に位置している手や足先なども、やはり血流が充分にめぐりにくい場所といえます。なかでも足裏や足先は、重力に逆らうという意味では、血流が最も心臓に戻りにくい場所であることはいうまでもありません。この点、頭皮と全く対極でありながら、同時に頭皮と同様、血流上は充分に注意をしなければならない(要する)ところといえます。

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【第百十一話】
 ~美しい髪は健康の結果です。~

 プロセスと結果。良く対比されることですね。今は“結果”がとにかく重視される時代。正確には今までは…ということかもしれません。最近は私の周りでも結果は確かに大切だけれどそこに至るプロセスの方がもっと大事ですよね…という人が増えてきたような気がします。

 私としては、これは嬉しいことだな、とそういう言い方を聞くと内心喜びます。私もともかく“結果オーライだよねー!”などと若気の至りというのでしょうか、随分と調子に乗って失敗ばかりしたことがあったものでした。(まあ、今でも懲りずにやりますが。)

 私のつたない経験からすれば、まあとにかく、良い結果というのはそればかり求めても得られるものではなく、そこに至るプロセスがないがしろにされたら、あとで大いに悔むことになるのです。

 とまあ、大きくエラそうな一般論を言ってしまいましたが、日々スカルプ論からしても、これはまさしく“その通り!”で、美しい髪を得るためには、斬新且つテクニカルなことをいろいろ施すのはとても良いことなのですが、やはり最も大事なのは、美しい髪を生むためのプロセスがないがしろにされては、やはりはかない結末に終らざるを得ないのです。

 では決してないがしろにされてはならないプロセスとは―やはり“健康な生活”なのです。 とはいえ今のような目まぐるしい変化にさらされる時代、名実ともに“健康な生活”を実践している人は私の知る限り、殆ど居ないといって良いでしょう。特に各方面に亘る大小、多様なストレスといったら、平成の初期に比べると比較にならないと思います。

 それでもやはりプロセスは大事、つやがあって、張りがあって、丈夫で、しかもボリュームのある“美しい髪”。それは身体と心の健康があってはじめて可能です。結果である“素の髪”を見つめ、プロセスである心身の健康を見直してみませんか。

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【第百十話】
◎膜の世界

 皮膚もそうですが、人の身体の組織は層から成り立っています。同じようなはたらきをする同じような形の細胞組織が層を成しており、その上下にはまた違った形とはたらきをする細胞群が層を成しています。その層の中の細胞同士は連携や連絡が密ですが、これに対し上下を隔てて隣り合う層と層の間の連携は決して密ではありません。距離は近くとも、互いに異なったはたらきと形を成す細胞群は層を隔てているだけに、層内の連携と比べると層間のつながりは希薄で、まるで国境を隣合う異国人同士のようです。層内の「密」な関係と、これに相反した層間の「疎」な関係。これこそは、日夜私がスカルプケアの施術で実感する人体の生理の生々しい実像です。

 あたり前のことを何故そうまで仰々しく言うのか不思議に思われるかもしれませんが、とても重要なことなのに見落としがちなことだと思うからです。この層と層の間を隔てる境界に存在するのが“膜”です。膜も広い意味では層の一つの形態であり、一種といえます。むしろ層として典型的な特徴を極めた形態であるということが言えます。

 施術をしていて実感するのですが、人の身体というのはどのような些細な部分でも他の部位そして身体全体へとつながっているということです。どのようにつながっているか、ということで強調したいのが“膜”の存在です。膜はそれぞれ様々な組織を包んでいますが直接、間接に連なっています。そこに途切れはありません。人の皮膚が頭の頂きから足の裏に至るまで、ずっとつながり途切れがないのと同様です。

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【第百九話】
もし…だったら

 職業柄、人に会うとどうしても無意識のうちに眼が頭の方を(に行って)見てしまうことが多いようです。自分でもさすがにこれはいけない、と思うのが、特に不特定多数の人が多く集まっている場における自分の習性です。特に頭皮がこれからいよいよ危なくなってくるナ、と思われる人などは遠目でも分り、知らぬ間につい凝視していたものと見え、その方と眼が合ってしまったりしてお互い何やら気まずい思いをしたことも再三ではありません。

 「口より先に手が出てしまう」というのはよく聞いたものでしたが、昔の職人気質の方からどうも、私の習性もそれに似たものがあるようです。もちろん手を出すことはありませんが、もしかして私なら何とかしてあげられるかナ、という思いが何か、フツフツと込み上げてくる感じがあり、やはり「職人」なのかもしれませんね。

 もし、今何とか頑張れば、この人は助かる!という思いの(何と言いますか)良い言葉で言えば“真摯さ”もっと生々しく言えば“衝動”でしょうか、何とか理解してもらいたいものです。一度こらえ切れずに自分を名乗り、その思いを伝えたことがありましたっけ。もう十年くらい前になりますが、明らかに怪訝な表情をされましたが、思いは誤解されずに伝わったと見え、その方は去る飲食店責任者の方でしたが、柔かく微笑んで「ありがとう!では近いうちに」と受けてくれたことをやや気恥ずかしく思い出されます。もし、今しっかりとケアされていたら…とか、もしあの時に予防をされていたら…と言いたくなるような場面が私の日常では本当に少なからずあり、私としてはその度に一種のやるせなさを感じるのです。 頭皮のケアは、本当に“予防”で100%に近い力を発揮することを声を大にして言いたいもの

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